2005年05月27日

親族・関係者の思い・・そして・・・。

旧日本兵の存在に関して、いろいろなことが判明してきた。
情報分析にいろいろと時間を要しているが、そこからまたイロイロな事が分かってきたようだ・・・・。

でもいきなりこのような速さで、いろんなことを調べる事や行動が起せるのに、どうして今までこんなに時間が掛かってきたのだろう?と思う・・・。

今回は申し出による所がこうして行動を起させる切っ掛けになったと思うが、日本の対応の遅さも・・・・・・。

今に始まった事ではないが・・・。






旧日本兵:「よく生きていた」親族、知人に驚き広がる 

>「戦死していたと聞いていたのに、まさか生きていたなんて」−−。戦後60年の歳月を経て、旧日本兵を名乗る2人がフィリピン南部ミンダナオ島で見つかった。大阪市出身の山川吉雄さん(87)と高知県出身の中内続喜さん(85)の可能性が高く、親族や知人らの間に驚きが広がった。

>2人が所属していた旧陸軍第30師団の戦友会「豹の会」代表の市川豪弌さん(90)は27日、東大阪市の自宅で「早く戦争が終わっていれば、2人もとっくに日本の土を踏めていたと思う。よくぞ生きていてくれた」と感激。安否を確認する戦友からの電話の対応に追われながら、「一刻も早く帰国までこぎ着けたい」と力を込めた。

>市川さんらによると、山川さんは、ブギドノン州境を越えてダバオ州に入ったが、体力が消耗して1945(昭和20)年8月7日ごろに倒れて死亡したことになっていた。

>また中内さんは、行動中に離脱し、行方不明となったといい、高知県越知町役場の戸籍では「1945年6月18日 フィリピン・ミンダナオ島において戦死」となっている。

>高知県越知町に住む中内さんの弟の妻(75)によると、中内さんは9人きょうだい。「人柄がよく、誰からも好かれていたようだ」と話す。数カ月前、戦友の森義友さん(85)=和歌山県海南市=から突然、「フィリピンで生きている。現地の人と一緒に高地で生活しているが、敵対する部族が好戦的なので、山中を転々としている」などと書かれた手紙が届いた。「『大陸からフィリピンに転戦する際、船が沈んで戦死した』と義母からは聞いていた。遺骨も戻っていたらしいので驚いた」と話した。

>また、山川さんの弟の小野善三郎さん(82)=東大阪市=は「会って確かめるまで分からない。政府からの連絡を待ちたい。兄だと確認できるまではそっとしておいてほしい」と話した。

>山川さんの末弟の裕久さんは、兄の生存調査活動などを行っていたが、先月30日に74歳で亡くなった。生前、兄の戦友から生存の可能性を知らされ「兄貴の顔が見たい」と話していたという。裕久さんの妻は報道陣に「そっとしておいてほしい」とだけ話した。

毎日新聞 2005年5月27日 14時45分


家族の思いは、こんなに時間が経ってから騒がれても・・・という気持ちや動揺、複雑な心境もおありかと思う。だから 「そっとしておいてほしい」という言葉が出てきているのではないでしょうか・・・。


そしてコレを切っ掛けに、まだその存在があることが・・・・。
こんなにも沢山の方々居たんですね・・・。


旧日本兵:「数十人生存」情報も 半数が帰国希望

>フィリピンに出征した旧日本兵らでつくる「曙光会」の近藤敏郎さん(83)によると、昨年12月20日にフィリピンから帰国した厚生労働省の遺骨収集団から、ミンダナオ島のキバウエ東方で中内続喜(つづき)さん(85)=高知県明治村(現・越知町)出身=ら3人が生存しているとの連絡が入ったという。近藤さんは「3人は現地のモロ族という部族に保護されているらしい。同島には旧日本兵の生存者が57人おり、半数が帰国を希望していると聞いた」などと話した。

 ◇未帰還者は21人

>厚生労働省によると、戦死情報がなく家族などの話から判断した旧日本兵の未帰還者は今年4月現在、21人。中国16人、旧ソ連2人、樺太とビルマ(現ミャンマー)、ベトナムの各1人で、フィリピンはゼロとなっていた。ただ、ミンダナオ島については、旧日本兵26人が集団で住んでいるという情報があり、72年8月と73年11月に現地を捜索したが、確証が得られなかった経緯がある。

毎日新聞 2005年5月27日 15時41分より



しばらくはこの話題続き、段々とマスコミも騒がしくなり大きくなり、テレビ各社も連動して騒動になるのでは・・・・日本のメディアの一極集中的な取材・・・。

現地に行って大騒ぎだけはして欲しくないと思います。
まして現地の人たちを巻き込んでの取材合戦などもってのほかだと思うのですが・・・。

静かに暮らしていた本人達もそうですが、その周りに居るフィリピンの人たちのことも考えて欲しいと思います。


たった今の今まで無関心であったのに、このことを切っ掛けにマスコミが取り上げて大騒ぎをする・・・。商業的な取材や報道を優先させない、真の報道をして欲しいと思います。


また、戦友の方々による遺骨収集や捜索活動に関しては 私、若輩者なので何も分かりませんが、頭が下がる思いです。
当事者や関係者の方々の努力の賜物で今回判明したのだと・・・・。

とにかく言えることは、ご苦労様と・・・・。
posted by site orner at 17:34| Comment(7) | TrackBack(1) | NEWS/ニュース・フォルダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日は対面できなかったようですね。
ピアノマンよりこちらのニュースがリアルで気になります。
Posted by こき麻呂(^^ゞ at 2005年05月27日 22:31
>こき麻呂さん

ピアノマンのニュースも気になりますが、やはり舞台がフィリピンと有らば、気になるのはしょうがないですね・・・。
Posted by @ババエロ at 2005年05月27日 23:58
おっしゃる通り、政府並びに厚生労働省の対応は極めて悪く、全てが後手後手に回っておりました。申し遅れました。わたくし今回の件に携わってまいりました、寺島芳彦の息子です。日頃からこちらのプログを拝見しておりまして、このコメントに出会い、関係者への労わりのお言葉、父親に成り代わり、お礼申し上げます。
Posted by 寺島和彦 at 2005年05月28日 15:51
>寺島和彦様

はじめまして、コメント大変有り難うございます。

イロイロな事実が次々に判明して行く中で、一番にお身内の方が大変な思いをされているのではないでしょうか・・・。


現地でもマスコミなどにより騒がしくなり、ニュースにもありましたが、落ち着いた環境の中での調査やご面会が出来ればと思っております。

早い段階でのご対面を心よりお祈り申し上げております。

ブログのコメント上から大変失礼致します。
今後とも宜しくお願い致します。

影ながら応援いたしております。
それでは失礼い致します。

お時間があるときにでも、このようなブログでよろしければ是非またお立ち寄り下さいませ。
Posted by @ババエロ at 2005年05月28日 16:10
追伸:寺島和彦様・・・・。

新聞報道を見ますと、仲介者との連絡に手こずって居られるようですが、ご承知の通りフィリピンは時間的観念にはルーズな所があります。

日本的観点で、今回の事を進めようと思われても日本政府サイドなどはその事を考慮していないようですね・・・。

どうぞ折角のチャンスですので、粘り強く、また忍耐強く連絡を待たれるようにして下さい。

部外者が生意気な事を申し上げましたが、どうぞ今回の面接調査が進展されますように・・・そう祈っております。
Posted by @ババエロ at 2005年05月28日 16:48
有難う御座います。その旨、父の方へ伝えておきます。
Posted by 寺島和彦 at 2005年05月28日 18:08
>寺島和彦様

ご丁寧にコメント恐縮です。
フィリピン特有の国民性及び民族性がありますので、思うようにははかどらないかと思いますが、それらを考慮のうえ最善の方法で接触されますように・・・・。

お父様に宜しくお伝え下さいませ。
重ね重ね、ご苦労様です・・・くれぐれも体調にはお気をつけ頂き、ご対面の実現に向けて頑張って下さい。
Posted by @ババエロ at 2005年05月28日 18:49
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Excerpt: 親族・関係者の思い・・そして・・・。また中内さんは、行動中に離脱し、行方不明となったといい、高知県越知町役場の戸籍では「1945年6月18日 フィリピン・ミンダナオ島に...
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Tracked: 2007-12-30 04:08
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